2021年4月22日の日記:「津島」の地名の由来

日記

今日はまだお昼だけど日記書いちゃう。

これ(↑)読みました。もう目ん玉が飛び出るぐらい面白い。

租庸調の木簡から、「津島」の地名が地名由来ではなく人名由来であるという説が展開されています。

そこで,津島の地名の意味をそういうことを前提にして考えてみたいわけであります。先ほどご紹介下さった新納さんは,津島という地名は,元々海辺が近くまできていたから,そういうことに基づく地名ではないか,と考えてきた,とおっしゃいました。そういうことにも津島の地名の意味は関係あるんですけども,これはどうもそういう地形・地物的な自然地名ではないんです。ということがこの資料3の木簡で明らかになりました。

「津島」の地名の由来 岡山大学文学部教授 狩野 久

郡の次に里の名前があります。里というのは後には郷の名前でありますが,「津嶋ァ里」とあるわけですね。津島の「津」の字はちょっとくずした字になっています。さんずいなど棒を引っ張って書いています。島は今の簡単な島ではなくて,山が外にでるやつですね。部の字は「おおざと」をだんだん省略していって「ァ」のような字になっている。古いときはいかにもおおざとのような書き方なんですが,だんだん棒も短くなりまして,最後にはもう「マ」みたいになります。

「津島」の地名の由来 岡山大学文学部教授 狩野 久

上の字はまず「庸」という字で読んでよい,この字はご存じのように当時の租税制度で調庸というのがあります。調とか庸とかは地方の特産物を都に出すときの税の種類であります。庸とありましてその次は「津嶋ァ」なんです。その次の字がこれは「木上」と書いていますが,これは人の名前です。「津嶋ァ」,「津嶋ァ」が要するに名字で,「木上」がこの人の名前です。その次は「一俵」。俵です。これはここまで申し上げますと,そういうことかなとお気づきかと思いますが,津鳴ァ里の津嶋ァ木上という人が庸としてお米を,これは米と考えていいと思います。塩もあるんですけれども,米でいい。米を一俵都へ運んだ。その時の俵にくっつけた,要するに荷札なんです。

「津島」の地名の由来 岡山大学文学部教授 狩野 久

ですからこの米俵は平城宮を造ってまもなく,あるいは造りつつあるときにこの備前国三野郡から徴用された人たちのお米として都に送られたものなんです。庸というのはそういう労役に従った人の食料であります。そういうものと考えていいわけであります。そういたしますと,津島という地名は自然地形的な自然地名のように一見見えますけども,津嶋部にもとづく地名であることがわかります。津嶋部というのは人間の名前であります。津嶋部を名乗る人がここに住んでいた,かなりたくさん住んでいた。一人,二人住んでいたのでは村の名前にはなりません。かなり集中して津嶋部を名乗る人が住んでいたことによりまして,ここの村の名前が付けられたわけです。津島はそういう人文地名だということになります。

「津島」の地名の由来 岡山大学文学部教授 狩野 久
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