現代における孤独と空しさ
現代社会は政治的・経済的に混迷を深めており、多くの方が先行きの見えない未来への不安を抱えています。その一方で、支え合い、助け合いよりも、「自分の努力で幸せを掴まなければならない、取り残されていく者は自己責任である」という、自助努力、自己責任が当たり前になってきています。現代は、自分を優先し、誰かが取り残されても仕方がないという考えへと人びとを動かす、厳しい時代状況にあるといえるでしょう。しかし、その先に安心、安らぎはあるのでしょうか。競争や利害を原理とする排他的なあり方がもたらすのは、他者との相互不信であり、共感を失った孤独です。不安を拭い安らかであることを求めながら孤独である。そのとき、人は、何のために生きてきたのかと問い、人生への空しさを感じざるをえないことでしょう。孤独と空しさではなく、喜びをもって自らの人生を生きるためには、自分が優先という人間関係をこえ、人々と共に安らかであることが人間には不可欠なのではないでしょうか。
真宗教団の役割
親鸞聖人の教えを仰ぐ私たちにとって、みな、共に安らかに生きていくにはどうしたらよいのか、という問いに向き合うことは、すべての人を摂めとって捨てない(摂取不捨(せっしゅふしゃ))という阿弥陀仏(あみだぶつ)の願いにうながされて生きる、念仏者の使命であると考えています。しかし、現在、多くの人びとにとって、生老病死や日々の悩みなど、人生における苦悩について相談する相手は寺院、僧侶ではなくなっています。葬儀や法事が人びとの悲しみや悩みに、僧侶が向き合い、教えを伝える場になっていたのか、宗教者としての責任を果たしてきたのか、私たちは真摯に反省をしなければならないと考えています。
私たちは、宗教者の責務として、現代に生きる人びとの苦悩に向き合い、共に生きることを願って歩んでまいります。そのために、私たちが目指す世界を、
いのちあるすべての存在が互いに響き合う世界、
誰一人取り残されることなく、共に生きることのできる世界と明確にし、ここに宣言といたしました。
2023年、私たちは親鸞聖人が御誕生されてから850年、浄土真宗を開かれてから800年を迎えます。浄土真宗800年の歴史をかえりみ、真宗教団連合発足の願いに立ちかえり、私たち自身、苦悩する現代人の一人として教えに道を求め、共なる世界に向け、歩んでまいります。