この日は息子+祖父母で京都鉄道博物館に行きました。
1.息子と0系新幹線の邂逅
入って一番手前に0系新幹線がありました。
息子は0系新幹線の中の展示コーナーがたいそう気に入ったようで、ずっと0系新幹線の中にいました。
とにかく0系新幹線の中の展示コーナーがお気に入りでした。
その後、息子は「踏切コーナー」の周りをぐるぐる歩いていました。
2.雷鳥の記憶を追え
博物館の中には「雷鳥」もありました。
ちょうど先日、大宮の鉄道博物館でボンネット型特急を見た後、幼少期に家族旅行でボンネット型特急に乗せてもらった記憶が蘇ったところだったので、ちょっと恥ずかしかったのですが、あれはいつの家族旅行のことだったか、父母に尋ねました。
父母の議論の中で、下記3つの説が挙がりました。
- 信州説
- 南紀白浜説
- 黒部ダム+トロッコ説
うち、信州は車で行った記憶があるので違う。
白樺並木の中で86がエンストした記憶があるから違う。
ちなみにこれは今遡れる限りのもっとも昔の幼少期の記憶の一つ。
旅館の名前が「りんどう」で、このとき、旅行先で迷子になっても大丈夫なように、両親の名前をひたすら暗唱させられた記憶がある。
次の南紀白浜説、これは電車で行ったっけ?????
ボンネット型特急で旅行に行ったときは、京都駅から東の方に向かって電車に乗った記憶がある。
しかも、これは正しいかどうかわからないが、湖西線を走った記憶がある。
当時は冷たいご飯が食べれない子供だったので、京都駅で買ってもらった駅弁のご飯が冷たくてやだなぁと思いながら、湖西線を走っていた記憶がある。
とすれば、最有力は黒部ダム+トロッコ説か。
そうであれば、記憶の中のボンネット型特急の正体は「雷鳥」か。
・・・と考えててたら、母が
「黒部ダムの帰りに来来亭でラーメンを食べたが、旅行で疲れていてラーメンを消化しきれず吐いた」
と言ったので、「それは違う」と即答した。
私の幼少期、まだ来来亭はこの世に存在していなかった。
今でも覚えているが、あのとき行ったのは来来亭ではなく天下一品。
と、ここで、旅行の帰りに自宅最寄り駅の一つ手前の駅で電車を降り、駅前の天下一品でラーメンを食べ、その後、路線バスで帰路についたのを思い出した。
ということは、やはり、黒部ダム+トロッコ説が最有力か。
でも一つ、まだ謎が解けない点がある。
ボンネット型特急で旅行に行った際、帰りは0系新幹線のこだまに乗せてもらった記憶がある。
当時は100系が最新型の新幹線で、子どもごころに、100系ではなく0系だったのが少し残念だった記憶がある。
黒部ダムに行ったのだとすれば、帰りはどこからどうやって0系新幹線に乗ったのだろうか。
謎は深まるばかり。
・・・と考えていたら、母が父に
「家のアルバム見たら分かるわ」
と言ったので、もうこれ以上考えるのは止めにした。
アルバムが保管されている離れはダニが多そうなので、結局、アルバムは確認できていないが、また今度にしよう。
3.扇形庫、うんこ及び動物園
ボンネット型特急に想いを馳せつつ、梅小路蒸気機関車館にも行きました。
実は、ここは昔、叔父(故人)に連れて行ってもらったことがあるのです。
当時は幼稚園ぐらいだったかと思いますが、あまり機関車に興味はなく、ただ「ふーん」って感じだったように記憶しています。
ただ、記憶の中の扇形庫は、もっともっと大きかった。
扇形庫の屋根がもっと高かったし、横幅ももっと広かった。
これも、先日の日記で「記憶の中の集落はもっと広かった」と記載したのと同じでしょう。
叔父には、梅小路蒸気機関車館に連れて行ってもらった記憶と、京都市動物園に連れて行ってもらった記憶がある。
梅小路蒸気機関車館に連れて行ってもらったのと、京都市動物園に連れて行ってもらったのが、同じ日だったかどうかまでは覚えていない。
ただ、京都市動物園に連れて行ってもらった日は、両親はいなかった気がする。
叔父と一緒に行ったのは覚えているが、従弟も一緒だったかまでは覚えていない。
京都市動物園に行った日のことで、覚えているのは二つ。
- 電車がめっちゃ揺れた。
- 帰りにうんこをした。
何の電車に乗ったか、もう覚えていないが、この日、電車がめっちゃ揺れたのは覚えている。
当時、電車に座らず立ったままでいるのが楽しかった。
JR琵琶湖線はあまり揺れないので、立ったまま電車に乗るのが楽しかった。
ただ、動物園に行った日の電車はめっちゃ揺れて、立ったままでいれなかったのを覚えている。
悔しかったし、怖かった。
そして、帰りにうんこがしたくなり、多分、京都駅かどこかのトイレでうんこをしたのを思い出した。
どこのトイレかは覚えていないが、和式便座でうんこした気がする。
梅小路蒸気機関車館の転車台を見て、うんこしたのを思い出したので、やはり、梅小路蒸気機関車館に連れて行ってもらったのと、京都市動物園に連れて行ってもらったのは、同じ日かもしれない。
そういえば子供の頃、大人に要求を伝えるのが苦手だったことを思い出した。
親にすら要求を伝えるのが苦手だったので、親以外の人間なら尚更である。
あの日、私はどうやって叔父に便意を伝えたのであろうか。
4.まとめ
この日記を便意で締めるのは若干遺憾なので、もう少し記載しよう。
博物館内では、0系新幹線と、100系新幹線と、雷鳥と、梅小路蒸気機関車館の転車台と、C62 2の写真を撮っておいた。
色々な記憶が喚起された一日でした。また来よう。