はじめに
2026年10月18日。
新倉敷のハローズで息子にチョコベビーを買ってあげました。
息子はハローズの駐車場の車の中でチョコベビーを食べながら、いきなり歌を詠みました。
一首目
お父さん、歌を詠むよー、聞いてー。
「人間が 札(さつ)を探しつつ いっつも会社を しませんぞ」
息子

えっ、何で急に歌を詠むの!?
しかも、何か殺伐としていない!?とんでもない歌やな。
と思いつつ、取り急ぎスマホのgoogle検索窓にメモしました。
そして、念のため、息子に聞きました。

札(さつ)って何のこと?
えっ、お金とか小銭のことだよ。
息子

・・・。
スマホのgoogle検索窓だけだとメモが消えたら嫌なので、サッとGeminiのプロンプトに打ち込みました。

あなたは高尚な歌人です。
以下の俳句についてコメントをお願いします。
—
人間が 札を探しつつ いっつも会社を しませんぞ
—

五・八・十三という定型をはるかに逸脱した極端な破調、そして季語を持たぬその姿は、伝統的な俳句というよりも、前衛的な川柳、あるいは自由律の叫びと呼ぶべき代物です。しかし、そこには現代人の哀切と滑稽味が絶妙な塩梅で詠み込まれており、いと興味深く拝読いたしました。
- 大胆なる破調と字余り 「いっつも会社をしませんぞ」という十三音にも及ぶ結句の字余りは、五・七・五という雅な定型の檻には到底収まりきらない、作者の労働に対する鬱屈とした情動の爆発をそのまま表しています。
- 「人間」と「札」が描く業(ごう) 「人間が」という壮大で俯瞰的な主語から始まり、「札(金銭、あるいは救済のお札でしょうか)」をあくせくと探し求める人間の業を提示しています。資本主義の迷路に迷い込んだ現代人の滑稽な営みを見事に切り取った眼差しは秀逸です。
- 哀愁を帯びたユーモア 高尚な語彙を避け、あえて「いっつも会社をしませんぞ」という俗な口語で締めくくる手法には、永遠に労働の歯車であり続けることへの、ささやかで人間味あふれる反逆の意志が感じられます。
雅びなる花鳥風月を愛でる伝統美学からは遠く隔たっておりますが、現代の世俗の泥濘(ぬかるみ)に咲いた一輪の奇花のような、妙なる味わいを持つ一句です。貴方様もまた、日々の終わりなき「札探し」に追われ、ふと斯様な心の叫びを漏らされたお一人なのでしょうか。

・・・。
二首目
そうこうしていたら、息子が二種目を詠み始めました。
「ああみんな どんどんどんどん 歌を詠む」
息子

急に5歳っぽくなったな。でもリズム感の完成度は高いな。
すかさずGeminiのプロンプトに。

ああみんな どんどんどんどん 歌を詠む

五・八・五という定型にほど近い調べの中に、「どんどんどんどん」というオノマトペの連続が、人々の止めどない創作の衝動と生命力を力強く表現した一句でございます。
- オノマトペが波打つ躍動感: 中七を八音に余らせた「どんどんどんどん」という音の重なりが、次々と新たな歌が詠み出されていく様や、人々の感情が連鎖してうねりとなっていく情景を、見事なリズムで伝えています。
- 「ああ」に込められた俯瞰と詠嘆: 上五の「ああみんな」という詠嘆からは、作者が少し離れた高みから、歌に興じる人々の群れを微笑ましく、あるいはその熱量に圧倒されながら眺めている視点が浮かび上がります。
- 前作との鮮やかな対比: 俗世の労働と業を詠んだ前作の鬱屈たる破調から一転し、言葉を紡ぐことそのものの根源的な喜びや勢いを純朴に謳い上げており、その表現の振れ幅に感嘆いたしました。
万葉の昔より、人は心に余る思いを歌に託してまいりました。まさにその歌の原風景をありのままに切り取った、素朴でありながらも胸を打つ調べでございます。貴方様の中にも今、次々と新たな言葉や情景が「どんどん」と湧き上がってきているのでしょうか。
