東京本社に初出勤です。
寮から通い方が分からないので、この日だけは同期みんなで出社することにしました。
大学が関東だった同期は1次面接が東京本社だったそうなので、迷わず着きました。
今思い出せるのは、東京の総務課長のメールの署名がヘンな顔文字だったことと、初日の午前中は職場で使うデスクトップのパソコンを組み立てたことぐらいです。
もう一つ思い出しました。東京で働きだした頃は、あっち側に座っていました。
辞めるまでの間に、途中で席の移動があったのでした。辞めるときは、窓側に座っていたのでした。
2011年4月当時に座っていたあっち側の席の傍では、山本先生のオートマシステムの会社法の会計参与のイラストに似た関係会社の経理の人が、関係会社の閉鎖に向けた帳簿作業をよくやっていました。
そういえば、東京で働きだした頃は震災直後で物資が不足していて、トイレのウォシュレットのリモコンの電池をパクッた奴がいるとかいないとかいう話がありました。
震災直後でしたが、おいしいイタリアンレストランで歓迎会をやってもらいました。今でも大好きなお店です。妻とも行きました。
ここまで書きましたが、もうダメですね。前職初期の頃の楽しい思いでしか出てこない。私はめちゃくちゃ幸せ者です。
さてさて。
配属当初は勿論ペーペーでしたので、新人教育を受けました。
毎週課題が出るので、一週間で調べて、レポートにまとめるのです。懐かしいですね。
配属最初の週に出た課題は、勿論、安全保障輸出管理です。
「リスト規制とは?」「キャッチオール規制とは?」「ホワイト国とは?」わぁ、懐かしい。
ちょっと前に、ホワイト国は某隣国のクレームで「グループA」に変わってしまいましたからね。
何やねん、グループAって。さすがにハト派の私でもそう思います。
法務の仕事で安全保障輸出管理をやるにあたり、やっぱり六法が必要だろうと思って「外国為替・貿易小六法」を買おうとしましたが、途中で買うのを思い留まって正解だったのを思い出しました。
企業の担当者だけでなく、経産省の官僚も、輸出管理屋さんはみんな日本機械輸出組合の法令集を使っていますからね。
わぁ、懐かしい。
安全保障貿易管理の輸出許可の根拠条文は、外為法第48条ですからね。
そこから省令や通達に広がっていくわけですが、当時、全体的な体形が分かっていない中、手探りで良く調べていたと思います。
そういう意味では、外為法第48条は私のキャリアの原点ですね。
だって、10年前の2011年4月1日が、私の法務担当者としての職歴起算日ですから。
その後、色々あって、法務担当者としてはマイナーな分野ばかりの偏った職務経歴になってしまいましたが、その分、時間があるときに司法書士試験の勉強で基本を身に着けてきましたし、その点についてどうこう言いたくはないです。
10年前の自分に対し、
「10年後、君は転職して、海外現地法人の法務責任者として暇を持て余しています。」
って言ったら、どんな反応するでしょう。