書評:2020年6月30日にまたここで会おう 瀧本哲史伝説の東大講義

書評(本以外含む)

部屋の片づけをしていたところ、ブックカバーを被ったままの本が出てきました。

ちょうど交渉のページだったので、昔読んでいた「武器としての交渉思考」かな?って思いながら、パラパラと読み進めました。

半分ぐらい読み進めたところで「あれっ?違うな」と思ってブックカバーを外したところ、買ったまま置いておいた本書であることに気づいた次第です。

ということで、私のアカウントでログインしたAmazonには「最後にこの商品を購入したのは2020/7/9です。」と記載されているのですが、今日、初めて読みました。

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1.基本情報

2.感想等

部屋の片づけのため、もう本は段ボールに詰めてしまっており手元にないので、以下、うろ覚えで記載します。ご容赦ください。

本を書くきっかけとして「今まで頑張ってきて成果も出たけど、思ったほど社会はよくならなかったので、失望した。だから、今は、小さいリーダーがたくさんいる社会の方が良いのではないかという仮説を立てて本を書いている。」的な記載があった。これは、今まで聞いたことがなかった話。

「僕は君たちに武器を配りたい」の発売が2011年。同書を含む初期の書籍では「資本主義社会で生きていくための考え方」をベースとしつつ「社会をより良くする方法」が記載されている一方、本書では「社会をより良くする方法」がメインテーマとして記載されている。言っていることはどちらも同じなのだが、前述の「失望した」的な記載を見るに、著者の問題意識の根底は「社会を良くすること」にあったのだと、あらためて認識した。

一方個人的には、そもそも10代20代の学生には、人生を賭けてまで解決すべき社会問題を認識すること自体が難しいのでは?と思った。超超意識の高い人は別として、まだ、働いてもいないのに、人生を賭けてまで解決すべき社会問題なんて、ピンとこないだろう。(そもそもこの講義を聞きに行った人は、超超意識の高い人だろうという話は置いておいて。)

実際に、私も、ピンとこなかった者の一人である。

本書では講義の途中、聴講者との間で「もう30代半ばになればある程度人生は見えているから、地に足つけて行きましょう」的なやり取りがあって、それは10代20代を対象にした講義だからのリップサービスという点は割り引いても、そうなってしまうと、10代20代のうちから人生を賭けてまで解決すべき社会問題を認識できる人間は、それ自体の存在が稀有であるという意味において、小さいリーダーが「たくさん」いる社会は実現しないよな、と感じた。

この点、後期の著作である「ミライの授業」では、最後に「何歳でも遅すぎることはない」的な記載で締めくくられているので、もしかしたら、この頃になると、著者は啓蒙対象とすべきリーダー候補者の母数が足りないことへの危機感を抱いていたのかもしれない。

自身の話に戻るが、30代半ばに差し掛かっても、未だ「人生を賭けてまで解決すべき社会問題を認識し、行動に起こす」には至っていない。自分の思考が浅いのか、はたまた世界が狭いのか。焦燥感に駆られるが、さてこの後どうしたものか。

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